読書感想『この世でいちばん大事な「カネ」の話』西原理恵子

特に胸をうつのは、西原さんが上京してきて、一人暮らしの中、なりふり構わず、出版社に営業をかけ、絵で食べていくための道を切り開いていった話だ。貧しさの悲惨さを知っているからこそ、負の連鎖から抜け出そうと必死になる。予備校でも絵の評価は最下位だったという。最下位なら最下位の戦い方があると、下ネタを使っての笑いを取る営業と、イラスト外でのコメント力て勝負するという図太さとしたたかさ。

「たとえ最下位だろうと、どこがどう最下位なのか、自分のことをちゃんとよくわかれば勝ち目は必ず見えてくるはず。わたしは、自分をそう励ましながら、来る日も来る日も描いて、描いて、描きつづけた」

西原さんはそれはスポーツと一緒で、自分の得意と限界点を客観的にとらえることだという。

何十社と回った出版社の大人たちからの痛烈な批判から得るものもあったのだろう。だから行動をして、批判を聞き、自分を客観視する能力が必要になる。それはなかなかに辛いことだ。センスの塊に見える西原さんは、バリバリの体育会系の根性論者だった。

人は誰しも善い部分と悪い部分がある。そしてそれは白か黒かでなくたくさんのグレーゾーンがある。西原理恵子という人は自分の黒い部分をこれでもかと(ほとんどワザと)全面にだし、社会の理不尽さを叫ぶ。西原さんは自分をエンターテイナーというが、彼女は「叫ぶ詩人」である

読書感想『大往生したければ医療と関わるな』

もし、繁殖の時期が終わったのなら…

無駄に死に抗わず、老いと病を受けいれ、緩やかな死を迎えようという内容だった。

 

自分は職業柄、死を意識することが多く、老人ホームにもお迎えに行くし、終末医療系の病院にもよく行く。

正直に言って、そういったところで会うご老人というのは生き生きとされている方というのは少ない。むしろ生かされている、という方がほとんどだ。

そういった光景を見て、医療や介護のあり方というのはどうなんだろう、という疑問を抱いていた。ご本人たちのため、というよりは、世間体であったり、お金の為だったりする部分があるのではないかと…

この本を読んで、こういった疑問が晴れていった。やはり医療というのは治すのが役目である以上、老いからくる衰えさえも病気として、必死に治療してしまう。結果として薬漬けにされたり、延命治療を施されたりしてしまう。それは病院側のお金の都合も多々あると。

そういった延命治療を避けるためにも、普段から死について考え、いかに生き、いかに死んでいきたいのか、自分の中で回答を見つけ、家族にもそれを共有していくこと。それは常に変わっていくものなので、その都度、軌道修正していくこと。意思表示不能時の「事前指示書」を書いておくこと。その中で病気や事故などで昏睡や植物状態の時、認知症になったときにどんな医療サービスを受けたいのか、受けたくないのかを表明しておくことの重要性。それをかかりつけ医や家族、できます知人に立ち会ってもらい理解しておいてもらう。こういった事前準備が必要であるそうだらしい。

自分は幸いにも、普段から、あまり病院にお世話になることがなく、薬を飲むこともない。

なるべく医療の世話になりたくないという希望もある。

子どもたちも大分大きくなってきているので、老いからくる衰えや、病気に無理やり抗うつもりもない。

葉が落ちるように自然のままに朽ちていければいいなあ、と思う。

ずっとやりたかったことをやりなさい

朝3枚思いをつづるモーニングノート。自分のなかの創造性を育てるために、週一日一人の大切な時間をもつアーティストデート。この2つを軸に構成される自分の創造性を取り戻すための3ヶ月のワークショップ。

自分も十日間モーニングノートを実践し、アーティストデートを2回した。行動力と観察力が増しているのを感じている。いつもと視点が違う感じ。視野が広がりいつもと違うものが目に入るようになってきた。迷いはなくワクワク感しかない。冒険心やチャレンジ精神がわいてきている。アウトプットを重要視して情報を循環させ、良いものを取り入れていく。規則正しい生活を送り食生活を改善していく感じ。なるべくジャンクなものを摂取しないようにする。自分の心の声に耳をすます。おびえているアーティストチャイルドの声を聞く。

この本のコアの部分はとにかく書いて、自分をほめて、創造することの喜びを思い出そう、とうことにつきると思う。人はだれでもアーティストだったのに誰かにバカにされたり、自分で劣等感を抱いてみたりでアートを作ることをやめてしまった。しかし誰彼の称賛がなくても作るという過程自体が楽しいこと。完成した作品を褒められたら嬉しいが、その為に作ったわけではない。創造する喜び、ものを作る喜びがあるから作ったのだ。誰彼のために作るものは製品であって、そんなものは企業に任せておけばいい。アーティストはやっぱりお金に魂を売ってはいけない。自分にうそをついてはいけない。作る過程を喜び、自画自賛して、また次の作品にすすめばいい。人の評価など二の次なのだ。一流と言われる人たちは、どんなに駄作を作ろうが作り続けている。駄作か傑作かはまわりが決めることで

作った人たちは、いつだって最高のものを作っていると思って作っている。そうそそれでいいのだ。何も迷う必要はない。迷いは自己批判からきている。すべての自己批判を一度シャットアウトしましょう、という本だ。

Die with zero

この本はお金を貯めすぎることを警告する本だ。お金の貯め方、増やし方、稼ぎ方についての本はたくさんあるが、使い方にフォーカスした本は少ない。

アリとキリギリスの童話。

アリは正しいのかもしれないけど、働きすぎて、いつ人生を楽しむんですか?という疑問を投げかけてくれる本だ。

 

資産形成に夢中になっている人。節約志向のある人。堅実に生きている人ほど、刺さる内容が多いと思う。

 

この本の面白さは「お金はあればあるほどいい」という考え方に、じゃあ「お金を貯めてどうするの」という問いかけをしている点にあると思う。多くのデーターや事例を提示して、ただお金を増やすことが本当に幸せなことだろうか、と読者に問いかける。

 

著者はトレーダーとして若い頃から成功していた。ある日、友人に海外への貧乏旅行を誘われたことを断ってしまった。そのことを今でも非常に後悔しているそうだ。その友人はお金は失ったが経験という掛けがえのないものを得た。若いときにしか得ることができない経験がある、と著者は語る。

 

かといって、金は全て使いきれ、という極端なことは主張していない。著者が重要視するのはバランス。

『つまり、キリギリスはもう少し節約すべきだし、アリはもう少し今を楽しむべきなのだ』

読者にアリとキリギリスの最適なバランスを見つけなさい、と伝える。

 

アメリカ労働統計局が実施した消費者支出調査によれば、55才から10年ごとに平均して約1万ドル支出が減っていくそうだ。つまり『年をとると人は金を使わなくなる』。

年をとるとだんだんと欲望が減る。そして、お金を使わなくなるので、なかなか資産も減らないそうだ。ということは老後にお金を貯めすぎることは無意味になる。

 

著者は1969年アメリテキサス州生まれ。コンサルティング会社のCEO。エネルギー分野のトレーダーとして成功を収め、現在は1億2000万ドル超えの資産を抱えるヘッジファンドのマネージャーをしながら、映画プロデューサー、ポーカープレーヤーとしても活躍している。

 

悔いのない人生を計画的に送りたい、と思っている人にとっては非常に参考になる本だと思う。自分にとって何が幸せなのかを改めて問い直させてくれる本だった。

「バカと無知」 橘玲

進化心理学脳科学、人間行動学を通し、人間の本性をあぶりだしていく。

ヒトは集団で生きる社会的いきものであるがゆえに、自分の立場をたもつために、誰かにマウントを取ったり、取られそうになるのを回避したりと、高度なコミュニケーション能力をみにつけるようになった。

橘さんの知見や推察力には納得させられるばかり。そこに単純な人間讃歌の希望はないが、卑下するような絶望もない。

ただ、人間は面白いかたちで集団を形成するようになって、発展してきた。

世界経済はグローバル化して上昇を続けているし、人口は増え続けている。

殺戮や犯罪も減っている。人間は根本的に臆病で優しい。

きっとアップダウンをくりかえしながら、もっと住みやすい未来へとヒトは発展していくのだろう。

年収90万円でハッピーライフ(感想)

節約系Youtuberのフユコさんのおすすめで読んでみた。

なかなか刺激的なタイトルで、面白く軽い気持ちで読めた。

自らのお金をかけないシンプルライフを紹介している。

 

この本を一言で言えば、

「他人の目を気にするな。自分の本当にやりたいことをしよう」

ということに尽きる。

言葉にすると簡単だけどこれはなかなか難しい。

現代人はインターネットやテレビ、ありとあらゆるメディアによって他人との比較をどうしても意識してしまうからだ。

刺激を求める資本主義のカルマがどうしてもそこにあるからだと思う。

 

著者が頼りにする情報は本と居住地の自然そのもの。

貧しい環境で育ち、生きるためのシンプルなものしか求めないようになったようだ。

最低限の衣食住。粗食を好み、読書や散歩など、四季の細やかな移ろいを楽しみに生きている。

他人との関わりは最低限しか持たず、基本的に自分のしたくないことはしない。労働は週2回の介護の仕事のみ。

 

この本を読んで、自分も『こういう生き方がいいなあ』と思っていたことを再認識した。

無為自然

老子ブッダの教えた生き方を実践している、強いひとだと思う。

そこに気負いや無理、寂しさはなく、著者が純粋に求めた生き方が、この生き方で、普通に生きているだけなのだ。

わたしたち多くの人間が誇大広告や戦後教育で無意識に植え付けられている『常識』という洗脳を、著者は軽々と解脱している。

 

読後、昔読んだ業田良家の漫画のフレーズ

「自由というのは自らを由(よ)りどころにすること」

という言葉が思い出された。

 

『お金』に頼ることのない著者のような人が、本当の自由人なのだと思う。

どこにいけば満足するのだろう

自分はどこにいけば満足するのだろう。

もし仮に明日死ぬとして、お金に何の意味があるのか。

名誉に何の意味があるのか。


死の前に殆どのものは無価値となる。


どうすれば満足して死ねるか。


今日したいと思ったことを、あるがままにするしかないのでは。


死はいつおとずれるかわからない。


自分の心の動き、思考、行動


他人の思考、行動


後悔のないように生きるためには、内なる自分の声に耳を傾ける必要がある。

自分の本当にしたいことを確認する必要がある。

自分がどういう思考回路をたどっているか観察する必要がある。

そして自分の欲求に素直であること。かなうか、かなわないかは別として欲求に素直であること。子どものようであること。


遠慮、謙遜などしないこと。


明日、仮に全財産を失ったとして、生きることのできる、知識、精神力、方法論を持つこと。