罪と罰

罪と罰

 この小説に魅かれるところはなんだろう。

主役のラスコリーニコフ。苦学生でお金がないことにより学業を断念せざるを得ない状況下、金貸しの老婆を殺害し、偶然居合わせた老婆の妹も殺してしまう。

英雄に憧れ、自尊心が高く、虚栄心も強い。大きな仕事を遂行するためには、社会にとって害毒でしかない人間を殺すことは、許されることだという独自の理論をもつ。

 

実際にナポレオン、マホメット始皇帝、チンギスハン、いわゆる時代や国家の礎を作った英雄たちはその巨大なプロジェクトの犠牲として多くの殺人を犯している。

しかし、将来においてその罪は問われることはなく、むしろ英雄としての価値を日が追うごとに高めている。

 

彼はその一方で社会的弱者に対する優しさが、半端でなく、自分のものを差し置いても、気の毒で善良な貧しい人間に与えてしまう。

 

彼は生まれ持っての、この優しさを持っているからこそ、鋭敏な頭脳を持ちながらも英雄への一歩を断たれてしまった。英雄は社会全体の利益のためなら、一人の人間の死等、気にもとめない。ラスコーリニコフは英雄になるには優しすぎたのだ。

 

ラスコーリニコフには敬虔なキリスト教徒の母と美しい妹がいる。妹のドゥーニャは深い教養と美貌の持ち主。彼女をめぐり、スヴィドリガイロフ、ルージン、ラズミーヒンの三人が右往左往する。

 

スヴィドリガイロフは虚無的、享楽的な人間で、ドゥーニャに救いを求めようとするが拒絶される。

ルージンは、現実的、実務的、だが虚栄心が強くケチな男で常に損得勘定を気にしている。

ラズミーヒンは情熱家で感激屋、一途で嘘がつけない、行動力があり、他者への思いやりや優しさをもつ。

 

そしてソーニャ。彼女は貧しい家庭を支えるために売春宿で働いている。

俺は『罪と罰』はこのソーニャにつきるのではないかと思う。

彼女はキリスト、マリアそのものなのだ。

ラスコーリニコフは神を否定し、ソーニャを悲しませる。ソーニャは彼がどんなに神を否定しようとも、彼女の信仰を覆すことはない。ラスコーリニコフは彼女の中に否定した、キリスト、マリアをみる。全ての不幸、泥を呑み込んでいくソーニャ。

 

罪と罰はやはり神の否定から肯定への物語なのだろう。