世界の未来

 

この本はフランスの学者エマニュエル・トッドを中心に世界の4人の識者が、現在のグローバル化への反動としてのポピュリズムの台頭、民主主義の行き詰まりの問題を語る。

 

中等教育と高等教育の発展は階層化された社会を作った。トッド

識字率の広がりは人間が平等であるという意識を皆にもたせた。しかし高等教育は、エリート主義を助長させ、差別などの分断を生んだ。トッドは高等教育は必要なものだと考えているが、現在の高等教育は否定している。現在の高等教育は純粋な知性や創造性を発展させるものではなく、体制順応主義、服従、社会規範の尊重などを促すだけの教育になっていると指摘している。

 

直径社会という家族の型 トッド

トッドは日本やドイツは垂直的なデモクラシーだと考えている。これは直径社会の家族の型にみられる民主主義。基本的な自由の尊重や報道の自由はあるが、権力をとりあうということにあまり関心をもたない。これは直径社会の残滓であり、権威を重んじ不平等を受け入れる直径家族の価値観がこの民主主義に呼応している。フランスのエリートたちは自分たちがグローバル派のエリートに近く、フランスの民衆とは関係がないと考えているのに対し、日本のエリートたちは、日本人であるという意識が強い。これは移民の受け入れへのためらいと密接につながっている。

 

民主主義にはその根本において排外的で人種差別的な面がある トッド

人々は民主主義をポジティブなものととらえ普遍的だと考えがちだが、トッドは民主主義をその根本において排外的で人種差別的なものだと思っている。普遍的なものはむしろ、帝国であり、ローマ帝国も、中国の帝国も選挙などはなかった。ヨーロッパのひとたちはトランプを民主主義の脅威というが、トッドはそれは大衆が間違えている、という意味になるので誤りであるという。トッドは民主主義という言葉が宗教的な響きを持って神聖なものとして扱われることを警告している。民主主義とは人々が自分で決め、エリートがその決定を尊重するという制度であり、それ以上でも以下でもない。民衆が愚かしければその尻ぬぐいは自分でする。

 

国の違いはあれど、個人としてはそんなに変わらない。(トッド)

人々は住むところを変えれば、移った先の場所の価値観に合わせていく。人類学的なシステムは強いものだけれど、それは個人の価値観が弱いから。遺伝子の記憶や幼少期の記憶は個人を形成するうえで、無視できないものだけれど、今そこに住んでいる環境に順応しようとする力の方がはるかに強いということだろう。朱に交われば赤くなるという事か。

 

命とか命を生み出すものは無秩序、だらしなさ、ルーズさなのです。(トッド)

子供を増やしたければ、もっとルーズにならなくてはいけないと、トッドは語る。日本は完全主義で東京に3000万人も人口がありながら、キレイで清潔。ゴミなど無い。しかし、トッドは命を生み出すものは、だらしなさなのですよ、と説く。フランスでは婚外子は当たり前、国家が保育所を用意するから、若い人たちは安心してこどもを産む。旧来型の家族システムを正しいとするのではなく、みんなが寛容になって多様性のある家族を認めていったほうが良いという事だろう。その為には、母子家庭、父子家庭、親のいない子供たちを、自己責任と突き放すのではなく、経済的に国が支援し、社会全体がこどもたちを育てていくという空気感が必要なのだろう。

 

感想

トッドのコラムを見て面白い考え方の人だなと思い、この本を手に取った。トッドは家族のあり方から世界情勢を見ていく。家族のあり方は政治や文化から影響を受ける。また、家族のあり方はその個人の人間形成に大きく影響を及ぼし、その個人が政治や文化を作っていく。トッドは民主主義を否定しているのではなく、民主主義を神格化することに警告を促している。結局、民主主義を構成しているのは個々人であり、個々人の精神が軽薄なものであれば、政治に反映され、世界を悪い物に変えていく。帝国主義は、エリート支配であり、優秀な人間が世界を作っていく。その優秀な人間とは、資本主義社会おいては、お金もうけのうまい人間だけになってしまっている傾向がある気がする。環境破壊は人間だけでなく、全ての生態系の生存が関わっている。個々人が人間第一主義をやめ、地球環境、未来への長期的プランを考えることが必要なのだろう。その為には、政治の安定と、生活の安定、そして皆が世界という横軸と、歴史、未来をみる縦軸を広く学ぶ知識が必要だと思う。