フロー体験入門 ミハイ・チクセントミハイ著

この本はフロー状態とは何か、またそのフローの状態になる為にはどのような態度が必要か、またフロー状態をどのような形で用いるのが適切なのかを説いている。そして古今東西の学者や作家たち、市井の人達の言葉を交えてフロー体験の提案をうながしている。

まず、フロー体験とは何かを簡潔にいうと、要は何かに打ち込み、没頭している状態のことだ。外部からの情報に左右されることなく、心の変化もなく、している作業に集中している状態のことだ。これは好きなことに打ち込んでさえいれば、どんなことにもあてはまる。ガーデニング、読書、スポーツ、仕事、ゲーム、何でも良いらしい。ただし、テレビ等の、受身的レジャーでは得られないらしい。フロー状態になる為には、その作業への高いスキルと高いチャレンジが必要なのだそうだ。チャレンジが高すぎて、スキルが低いと、不安に襲われる。逆にスキルに比べて、チャレンジが低いと、くつろぎの状態となる。

フローを体験する為には、高いスキルと高いチャレンジが必要になる。

人は幸福よりも、フロー状態でいることの方が人生を豊かに、楽しいものにすると著者は説いている。このフロー状態をコントロール出来るようになれば、人生のあらゆる事柄、毎日のことで退屈になってしまう家事などでさえ、楽しいものに変えることができるという。

印象に残った言葉と共にこの本を振り返ってみたい。

 

生きることは行動、感覚、思考を通じて体験することを意味する。体験は時間の中に場を占める。そのため時間こそわれわれがもっている究極の希少な資源なのである。何年もかけて、体験の内容は人生の質を決定づけるだろう。そえゆえ、誰もができる最も重要な決定の一つは自分の時間をどのように割り当て投資するかということである。 第1章12pより

この時間を大切にするというのは、偉人たちが良く言う言葉だ。社会に大きな貢献をする人は自分が何をしている時がフロー状態になるのか理解し、また新しい事柄にもチャレンジする姿勢、そしてスキルを上げる為の努力もおしまないということだろう。それはただ単に自分が楽しむ為にやるから、努力も努力とならず、その毎日の積み重ねが、高いスキルとなるのだろう。

 

ギリシャ語でレジャーを指す言葉scholea 「school」の語源であり、そのような考え方だったので、レジャーの最もよい使い方は勉強することだった。 第1章17pより

古代ギリシャ人の学習意欲に頭の下がる思いがするが、元来勉強は新しいことを知るという知識欲を満たす楽しいものだったのだろう。それが地位や名誉を得るということがフォーカスされ過ぎ、子供たちに強制することによって、つまらないものへと意識が変えられてしまったのかもしれない。

 

何をなすのかをどう選び、人生にどう取り組むかということが、日々の総計が混沌としてとらえどころのないものになるか、芸術作品のようなものになるかを決定するだろう。第1章 18pより

人の3つの主な活動―生産、生活維持、レジャーは人間に心理的エネルギーを投入させる。自らこれらをコントロールしないと人生をつまらないものへと変えてしまう恐れがあるということだろう。

 

すべての感情はポジティブで魅力的かネガティブで胸の悪くなるものかのどちらかである。 食べ物やセックスの相手が見つけられないと種が生き残ることができないので、食事をしている時や異性と一緒にいる時喜びを感じるのである。 第2章25pより

人間の感情はざっくりとこの二つに分けられるそうだ。これにより人はよいものを選ぶのに役立つ。

 

貧困層でなければ、資源が増えても幸福になる機会は、はっきり感じ取れるほど増えないという結論が正しいように思われる。 第二章28pより

アメリカの平均収入は1960年代と90年代とでは実質倍になったが、大変幸福だという人の割合は30%のままだった。アメリカの億万長者は平均的収入のある人よりもほんのわずか幸福であるにすぎない、という調査もある。富と幸せは比例しないということだろう。著者は「われわれは本当は富や健康、有名になることなど求めていない。これらのものを求めるのは、それによって幸福になれると期待しているからである」という。

 

最もよい解決法は、自分のモチベーションの根源を理解することかもしれない 第2章35pより

自分の目標を管理するということ。それは自然的な行動の行きすぎもよくないし、逆に強迫観念的なコントロールもよくない。この間をとるということ。そしてその為にはモチベーションの根源の理解が必要。本当に好きなら困難があってもやり続けられる。

 

われわれは、心と意志と精神が同調している時にやってくる晴れ晴れとした気持ちをめったに感じない。相反する欲望、心構え、思考が意識の中で互いに争うと、それらを整列させておくことができないのである。第2章39pより

人間は欲望や感情に左右され、意識を集中させることがなかなかできない。

 

このような瞬間に共通しているのは意識が体験でいっぱいであることである。第2章40pより

本当にその行為を楽しめている時は意識がその体験でうめつくされていて、他のことに意識を奪われることはない。これがフロー体験である。

 

フローはスキルがちょうど処理できる程度のチャレンジを克服することに没頭している時に起こる傾向がある。最適な体験はふつう、スキルと行動のために利用できるチャレンジとのすばらしいバランスを要件とする。第2章42pより

フロー体験はスキルとチャレンジの相関関係から起こる。フローを体験する為には、その分野への深い造詣や、技術が必要と言うことだろう。スキルとチャレンジの繰り返しが高スキル、高チャレンジになり、やがてフロー状態となる。

チャレンジとスキルの相関関係

人生にすばらしいことをもたらすのは、幸福というよりも、フローに完全に熱中することである。第2章44pより

著者は幸福とフロー状態は別物だという。フロー状態の時は幸福は感じない。意識が内面にないからだ。幸福感は回想や、穏やかな人間関係、適切な環境によってもたらされる。残念なことに幸福感は壊れやすく、好ましい外因に依存している。フローは自分自身で作れるものであり、意識の中の複雑さを増大させ成長を促す。

 

しかし、ほんとうの成長のためには、面白い意見をもち、会話が刺激的な人を見つける必要がある。 第3章60pより

親密な交際は、良い体験となり、心の安らぎを与える。例え居酒屋でのちょっとした会話でも落ち込みを防ぐことができる。より難易度は高いが、一番よいのは孤独を楽しみさえする能力。

 

彼女たちの多くが、仕事で何が起きようと重要ではないと感じている。そしてそれゆえに逆説的に彼女たちは仕事をより楽しめるのである。第4章78p

多くの女性にとって仕事はより自発的なものである。これは遺伝的にプログラミングされているのか、文化的な伝統が背景にあるのか、仕事をしなくてはいけないものと、男性の場合はとらえる傾向にある。いずれにしても人は自発的だと思えるものに楽しみを覚える。

 

人間はフロー状態の時、つまりチャレンジに出会うことや問題を解決すること何か新しいものを発見することに完全に没頭している時に、最も心地よいと感じる。第5章 93pより

フローを生み出すほとんどの活動には、明確な目標、明確なルール、迅速なフィードバックがある。それは注意を集中させ、スキルを必要とする一連の外因的な作用。

 

言い換えれば、フローを生み出すどの体験も、楽しめるようになる前に、最初に注意力の投資が必要である。第5章94pより

受身的レジャー(友人とただたむろする、骨の折れない本を読む、テレビに向かうこと)と違い、フローを生み出す体験は、そこに至るまでのスキルと集中が必要である。

 

過去のレジャーは人々にスキルを発達させる機会と体験を与えたので、正当化された。実際、科学と芸術が専門職業化される以前は、膨大な科学的研究、試作、絵画の制作、音楽の作曲が個人の自由時間に行われた。第5章 104pより

好きだからこそやり続けられる。やり続けるからこそスキルもあがる。フロー体験を得るためにはある程度、困難な目標、チャレンジが必要である。

 

マチュア―好きだからする人―は自分自身はもちろん、すべての人の人生に楽しみと興味を付け加える。第5章105pより

決して非凡な才能がなかったとしても、好きだからそれをすることによって、自分も他の人も楽しい気持ちにさせることだできる。

 

重要なのは自分がどのように生活を管理したいと思うか、そしてその中で性的関係にどのような役割を演じて欲しいかと思うかである。第6章119Pより

性に関して、あまりに禁欲的になりすぎるのも、また奔放的になりすぎるのも人生を豊かにしない。自分自身でコントロールすることが大事。

 

家庭にいる時の気分はめったに友人と一緒にいる時ほど元気づけられないが、一人でいる時ほど低くなることもない。同時に機能不全の家族の特徴である、嘆かわしい虐待と暴力が示すように、比較的安全に鬱積した感情を解放できるのは家庭なのである。第6章 122Pより

フローは友人といることで起きることの方が多い。一緒にいる時間の多い家族は新しい情報を得る機会が少ないからだろうか。友人といる時の方が適度な緊張感とチャレンジをするということなのだろう。家族は安心ももたらすが、無気力的な暴力を生み出す危険もはらんでいる。

 

文化のぶつかりあいが、孤立した均質な文化では見つけにくい興奮、自由、創造の空気を生み出していたのでメトロポリスは非常に魅力的だった。第6章120Pより

8000年前の中国、インド、エジプトの大都市では様々な民族が集まり活気に満ちていた。それは誘拐や犯罪等の危険もあったようだが、同時に異質な文化のぶつかりあいが、興奮、自由、創造の空気を生み出していた。今のアメリカに近い空気だったのかも知れない。他者は生活の質にたくさんのスパイスを与えてくれる。

 

これらの創造的な人々が人生に立ち向かう方法は、同時に外交的にも内向的にもなりうるということを示す。実際、内向性から外向性までいっぱいの幅を表すことは人間であることのふつうのあり方なのかもしれない。第6章134Pより

たとえ孤高に見える芸術家であっても他者との交流は必須である。その刺激が新たな発想を生む。大切なことは、社交と孤独のバランス。どちらも行き過ぎると障害を生む。両極である社交と孤独、自分にとって適度なバランスを知ること。

 

次のように問うのである。このステップは必要だろうか。誰がそれを必要とするのか。もしそれがほんとうに必要なら、もっとうまく、早く、効率的にできるだろうか。どんなステップを付け加えたら、自分の貢献はもっと価値のあるものになるだろうか。第7章 147Pより

チャレンジや多様性に欠ける仕事も、このように考えることでフローを生み出せる。要は更なる進化へ自分に負荷をかけるという事だろうか。自らチャレンジを作り出す。マンネリ化してしまう仕事や日常の家事も楽しむことができる。

 

人の集まりが一つになるのは二種類のエネルギーによってである。つまり食べ物や暖かさ、身体的な世話、金銭によって供給される物質的エネルギーと互いの目標に注意力を投資している人々の心理的エネルギーである。第7章156Pより

家族間において、特に男性は経済的な豊かさだけそろっていれば、家庭は安泰であると考えがちであるが、精神的な注意を怠ると家庭は崩壊してしまう。それは会社、地域の会合、サークル活動など、すべてのコミュニティに言えることかも知れない。

 

人生の質を改善することはおおむねきわめて簡単なことだが実践することは難しい。しかし取り組む価値は確かにある。その最初のステップは、する必要のあることはなんであれ、だらだらとするのではなく、注意の集中とスキルをもって行う習慣をつけることである。次のステップは日々の心理的エネルギーをいやいやする仕事から、あるいは受信的レジャーから、かつてしたことのない何か、あるいは、障害がありすぎるように思えて十分に取り組んでいないが、すれば楽しいことに、振り向けることである。第8章181pより

世の中には注意や関心をしめし、学ぶことによって得られる面白いことがたくさんある。しかし、関心をもって、それを見ていかなくては興味深いものにはならない。

 

面白いと思うことの多くは、初めから面白いのではなく、注意を注ぐ労を払ったから面白いと思えるのである。第8章182pより

ありとあらゆるものは、そこに注意を払い、より複雑な構造を理解することによって、楽しいものとなっていく。退屈していることの正当な言い訳などない。チャレンジとスキルが足りないから退屈してしまう。

 

注意をコントロールすることは体験をコントロールすること。したがって人生の質をコントロールすることである。第8章183pより。

注意は外界の出来事と体験の間のフィルターの役割である。注意を払わなければその出来事は通り過ぎていく。痛ましい出来事も、目をそらさず直視し、その存在を理解した後に、自分で選んだ好きなことに注意を向けるようにコントロールする方が良い。

 

重要なことは活動それ自体を楽しむことである。さらに肝心なのは結果ではなく、そうした活動を通じて得る自分自身の注意をコントロールする力だということを知ることが大切なのである。第8章185pより

何か目的があって、その為だけにいやいやその活動をしても身にならず結局は継続できない。

 

自分以外の人類や、自分たちがその一部をなす世界に対して、積極的に責任を負うことは、よい人生にとって必要な要素である。第9章189pより

われわれは世界のなかの一員であり、一人一人の行為は社会や環境に影響をもたらす。

 

常に宇宙の未来は自分の行動にかかっているかのように振る舞う一方で、自分のあらゆる行動が違いをもたらすと考える自分自身を笑いなさい。第9章190pより

社会、環境に対して無関心であってもいけないし、傲慢になりすぎてもいけない。仏教の戒め。

 

運命愛は自発的であれ、外から押し付けらたものであれ、進んで自身の行為のオーナーシップを握るということである。第9章199pより

必然的なものを愛することがニーチェの言った運命愛である。今、自分にある運命を違うものだ、と否定するのではなく、その運命を愛し、しなくてはいけないことを自分自身の注意をコントロールして楽しむということ。

 

感想

フロー体験という言葉は、何となくは聞いたことがあったが、この本を読んでよく理解できた。それは能動的などんな行為からも、自分の注意次第で得ることができる。まずは注意をどこに向けるか。これが自分自身のオーナーシップをとるということ。次にその行為のスキルを向上させる為に、チャレンジの負荷をあげていく。

フロー状態は人生を楽しくさせる。ただし、反社会的な行為でもそれは体験できてしまう。社会、環境、布いては宇宙に対して自分のフロー体験が良い働きかけになるように、注意をコントロールしていく。その為にはやはり視野を広く持つ為の勉強が必要なのだろう。

また、常に行き過ぎを注意もしている。中道であることの大事さも説いている。