従軍慰安婦 吉見義明著

1991年の12月に三人の韓国の元慰安婦たちが謝罪と補償を求めて声をあげた。

しかし、日本政府の対応は記録として残されていない、という冷たいものであった。

92年に吉見さんは防衛庁防衛研究所図書館から、戦時中の従軍慰安婦に軍の関与があったとする記録が見つけ、それを朝日新聞が報じた。

吉見さんは、この著書で様々な文献、実際の慰安婦たち、軍人たちの声をのせている。
結論からいうと、慰安所を作るという軍の要請はあった。これは軍隊に所属していた人達からしたら、周知の事実らしい。問題はここから、直接の軍の関与があったのか、強制はあったのか、に移される。
吉見先生はヒアリングから、甘言や拉致、人身売買によって慰安婦にされた人達が多数いたと結論する。それは軍から依頼された業者がしたのだ、ということ。軍の直接的な強制を示す文献は見つかっていない。

ただ、オランダ人慰安婦スマラン慰安所事件というものがある。

これはジャワ島で、オランダ人が南方軍幹部候補生隊に慰安婦にされた記録はオランダに残っている。実際に関わった軍人は戦後オランダの裁判で有罪になっている。
この一件から推測するに、戦後重要書類の焚書があったことも加味すると、国として成立していたオランダだから、様々な証言から表にでてきた。日本の植民地支配が続いていた韓国、台湾、そして共産党と国民党の争いで国として成立してない中国では、単純に表に出なかったと考えるのが自然ではないだろうか。
確かに業者に依頼していた側面はあると思うが、それは秘書がやったとか、麻原が信者にやらせたと同じ理屈ではないだろうか。慰安所の女性に対して詐欺や騙されて来たわけではないという自由意志の確認を官憲はしたのだろうか。

軍の理屈としては強姦を減らす為、民間に完全委託した場合の情報漏洩、性病を減らす為、ということだったが、実際は強姦も減らず、性病も減ることはなかった。米軍は兵士に対して、一時帰国などの十分な休養が与えられていた為、慰安所という概念はなかったという。

やったことはやったとして素直に謝るべきではないかと思う。日本軍は無謀な戦争で兵隊たちに十分な休養が与えられず、慰安所を設けたという。

この発想自体が現代の感覚としては女性蔑視である。

勿論当時の時代背景がある。しかし、事実は事実として認識しておきたい。