ひとはアメーバーのような存在である

わたしを疲れさせて欲しい。

魂がふるえるほどの苦悩。空、称賛。傷を負った若者。

傷を負った娼婦。振り返り、揺り返し。空。希望の光と共に。

太陽のさす部屋。小さな灯火。小さな夕刻。落下した夕刻とともに。

走り出した私達。魂の叫びに似たなにか。

なにか狂っているような世界。狂い出した昨夜。夕の夜。

遅れているチャイムの音。傷ついた朝日。傷ついた夕刻。

誰も傷つくことなく、誰にも縛られることなく、振り返る。

たしかな灯火。たしかな空。たしかな未来。不確かな未来。

誰もが夢見たであろう何か。

醜悪な大人と純粋なこども。こどもの純粋性。純度の高さ。

大人の醜悪さ。暴力の連鎖。一重にたどりつく太陽。

やわらかな鳥たち。傷ついた鳥たち。

水の背中。水の鳥。水とともに歩む。

平凡な朝日。平凡に生きる人々の群れ。

わけの分からぬ人々の群れ。

群れたくない人の群れ。

流星の空。美しい人。美しい顔だち。

美しい立ち姿。醜い人。圧倒的醜さとともに。

美醜、比較。すべては比較からはじまる。

平安時代美人画は今見たらブスだ。逆もまたしかり。

人の基準など、そんなもの。

時代、人種、流行りすたりがある。

だから本当はそんなこと気にせずにとらわれずに生きればいい。

人と比較しなければいい。

ただ、人は比較が好きな生き物であることも事実。

比較、実験により発展してきたことも事実。

ただ人とある面だけ比較して、卑下したり、優越を感じたりすることは無駄なことであり、決してメンタルに良さをおよばさない。

人は立体的な存在であり、かつ流動的でもある。

人の、特に内面はアメーバーのような存在なのだ。

アメーバー同士の一点を見て、比較することなど無駄なことだろう。無意味なことだろう。

今あるもの、今あるすがたで勝負するしかないし、そこで今なにかの勝負に負けたと感じたなら、勝つための努力をするか、違うジャンルの戦いに戦場をうつせばいい。

とにかく劣等感など、感じる必要はないし、そんな暇はない。

そんなことは暇のなせるわざであり、くだらないことである。

金、姿、生まれ、その比較になにの意味があろう。

人の評価などあいまいなもので、人が人を評価するなどおこがましい。

勿論、個人的な価値観はあっていいのだが、たとえば学校の通知表などは、その人物の本当に一点でしかない。

そんなもので、先生の視点だけで、その人物の何がわかっているというのだろう。

テストの点数だけで何がわかるというのだろう。

偏差値教育、官僚制度。

これらはAIの発展で終わりを告げると思う。

どう考えても、偏差値でAIに勝つことはない。

一点の隙もない文章はこれからAIが作ることだろう。

法律もしかりだ。

我々人類の英知はAIに集約され、やがてAIが自ら学習していくだろう。

そこでわれわれ人は何をしていくだろう。

何に優越をつけていくだろう。

何に優越をつけたがるだろう。

ただの傍観者になりさがるのか、圧倒的偏執的なアートを目指していくのか。

非合理的な生き方にシフトしていくのか。

一切無駄のない世界。

無理のない世界。

われわれの未来はハッピーなのか。

そうではないのか。

誰もが穏やかにすごせて、地球も永続的に続いていくような世界。

気候変動、ありとあらゆる生命の尊厳を大事にする世界。