仏教では人間の悩みのには4つの苦があるとされている。
それは生、老、病、死
この4つの苦を取り除ければ悟れるとされる。
そもそも四苦は、生、老、病、死の四つのカテゴリーでいいのだろうか。
人間には他にも色々悩みがある。この大きな4つのカテゴリーで分類できるのか。
また、4つ並列でいいのだろうか。
まず、思うのは老いと病は生の中に組み込まれるのでは、と思う。
本来は生と死のなのでは。
ひとは生まれ、やがて死んでいく。これは誰にも逃れられない。
生き物の宿命。
仏教では死のあとは、また他の生き物に生まれ変わり、このサイクルが延々に続くとされている。
このサイクルの輪から、逃れるのが悟りとされている。
生まれ、生き、老い、病にたおれ、死ぬのサイクルが全て苦であると。
まず、死が大きな苦なのは理解できる。
死の瞬間、痛みへの恐怖、死後の世界の恐怖というのはある。
これは誰しも多かれ少なかれあるのでは。
病もわかる。人類、生物にとって、病は苦しみであり、死へ向かわせる恐怖でもある。
古今東西逃れることができない。
だからこそ、医学が発達してきた。
老い、これも生きのもの宿命で大きな苦の一つだろう。やはり、誰しも永遠の若さが欲しいし、体力、知力も衰えていくのは悲しいし、苦しい。
そしてやがて死へといたる。
生は、苦だろうか。
生は「生きる」なのか「生まれるなのか」
「生まれる」のは苦痛だろうか。
太宰治は「生まれてきてすみません」なんて言っていたけど…。
母親が生むのは苦だと思うが、赤ちゃんにとっては苦なのだろうか。
泣いて生まれてはくるけど…。
これはちょっと素直には理解できない。
ほとんどの赤ちゃんは周りから歓迎されていると思うからだ。
赤ん坊の誕生は、周囲の人に喜びを与えている。
「生きる」のは苦なのだろうか。
悲しみも、喜びもあるといえる。
老い、病も、「生きる」の一つと言えるし、他にも人間関係の悩み、お金の悩みも、「生きる」にふくまれるといえる。
出口治明さんが言っていたが、宗教というのは生きることが大変でないと、流行らないと言っていた。
そして宗教は大勢の人が理解できることが重要だと。
ブッダが悟りをひらいたのはインド。僕も行ったことがあるが、とにかく暑い。不衛生。虫がたくさんいる。そして、貧しい人でいっぱいだった。四季はなく、確かに生きるのが大変だろうと思う。日本のように森林などもあまりない。
ましてや、ブッダの時代のインド。さらに多くの貧しい人であふれていただろう。
では、現代の豊かな日本では?
生きるは苦ではないのか。
日本の自殺者は他国と比較しても多いというデータがある。
生活が豊かでも苦しみあるといえる。
我々の悩み。職場、学校、家族、近隣との人間関係。美容。ダイエット。薄毛。糖尿病に、高血圧。焦燥感や、閉塞感、借金、将来へのお金の不安。
ざっと考えてもたくさんある。ネットの世界では、色々な悩みがあふれている。
やはり、ブッダのいうとおり、「生きる」そのものが苦、悩みといえる。
生、老、病、死。見事に大きな人類の大きな四つの苦のカテゴリーといえる。人類の苦は3千年たっても変わっていないといえるのか。
しかし、「生きる」には喜びだってある。
「老」も経験や人間関係の蓄積という良い面もある。
「病」も克服すれば喜びに変わる。
「死」も苦からの安らぎともいえる。
パッと見、あきらかに恵まれた環境で、苦悩している人もいるし、あきらかに困難な環境でも、生き生きとしている人もいる。
結局は、自分の考え方、見る角度の問題ではないだろうか。