高瀬船 森鴎外著

高校生の時に読んで以来、2回目。

喜助という30前後の罪人を正兵衛と言う男が船頭となって、高瀬川を下り、島まで護送しながらその身の上話を聞くというストーリー。

喜助は大変貧しく育ち、弟と二人肩を寄せ合い生きていた。

しかし、弟が重い病気を患い、喜助の重荷になることを憂い、自殺を図る。

だが、死にきれず、その場に訪れた喜助に首に刺さった刃物を抜くように懇願。喜助は迷った末に、刃物を抜き、弟を殺した罪に問われる。

今でいう、安楽死をテーマにした作品である。大切な人から、安楽死を求められた時にどうするか?ということを突き付ける。

僕が高校生の時は、安楽死を選択するのは、死への苦しみを逃れる手段。

死の苦しさを乗り越えてこそ、安らかな死を得れる、といった感想文を書いた気がする。

若気の至りで、随分と高尚な事を言っていたな、と思う。

そして今、年を重ね、結婚し子供も二人できた。現実というものも少しは直視できるようになってきた。もし仮に自分の家族が助かる見込みがなく、逃れようもない死の直前の苦しみに悶えて死を願ったら、僕は絶対に安楽死を選択するだろう。

その身の上が自分だったとしても答えは同じだ。

「楽にしてあげてください」「楽にして下さい」と言うだろう。

その苦しみの果てに何があるというのか。死は忽然とただそこに、その隣にあるだけだ。

きっと僕はそこに罪悪感を感じないだろう。

そう、喜助と同じように。

そもそも生かそうという医術は自然に反したおこがましい人間の行為である。そのおこがましい権利を人間は持っていると同時に、それをやめる、そして身体の苦しみから逃れる安らかな死を得る権利もおこがましくも持っていると思う。

われわれ人間は底抜けに自由であるはずなのだ。

時を経て人間の考え方は変わるものなのだなあ、と思う。