現実と虚構

ヴァーチャルなもので溢れている。

マンガ、テレビ、インターネット、ゲーム、SNS、仮想通貨。仮想現実、仮想空間。

逆に現実とは何か?

自分、衣食住、家族、友人、学校、会社。

あらゆる人間関係。

それに伴うリアルな動作。

仮想現実の世界はいつ頃から生まれたのか。

江戸時代はあったか?

歌舞伎はあった。浮世絵もあった。紙芝居、旅芸人もいた。遊郭もあった。

仮想現実は現実逃避の為の世界なのか。夢を見るための、辛い現実から逃れるための。

どうも生きていく上で人は、特に大人は社会的役割、いわゆる仕事をしなくてはいけないらしい。

誰彼、何かの役に立つことで他人に認められ、自分自身も満足感が得られる。

仕事、今でこそ色々な職種が生まれているが、その昔、狩猟採取の頃までさかのぼれば、仕事というものは食べ物を得る行為そのものだったと言っていいだろう。

釣り、キノコがり、たまに大きい獲物をみんなで狩る。みんなで分けて食べ、踊り、歌う。男たちが狩り、女たちは子育て、家事が仕事。シンプルで分かりやすい構図。

やがて農業が発達し、余剰食料が生まれ、農業をしなくてもいい支配層が生まれた。

食料を集め分配し、誰彼がどこで働くか、何を作るか等決める。災害やトラブルがおきたときも彼らが方向性を決めただろう。いわゆる権力者(政治家)だ。

彼らは働かない代わりにリーダーになり、群れの最大幸福を願う。

ただ、良いリーダーばかりだったろうか。

多分、私利私欲に走り、賄賂を受け取ったり、無知な人、無欲な人を騙したり、貶めたりしなかったろうか。

いずれにしても農業の発展、余剰食料により、政治家、官僚、医者、建築職人、衣料従事者、市場関係者、多種多様な職業が生まれた。やがて、音楽家や画家、詩人、芸人、生活に直結はしないが、人生に潤いを与えるものたちが生まれていった。

素晴らしい音楽のコンサートにいく。

素晴らしい絵に陶酔する。

素晴らしい詩に涙する。

これは仮想現実に浸っていると言えるだろうか。

言えると言えば言えるが、言えないとも言える。ハッとすぐに我に帰る感じはする。

やはり、仮想現実という言葉が立ち上がってくるのは、ごく最近の事ではないか。

映画、マンガ、ゲーム、インターネット、これらのソフトの活躍は目覚ましく現実を軽く凌駕し、現実をつまらないものへと変えていく。向こう側は夢の世界。

しかし、現実を侵していく仮想現実は空恐ろしい面もある。

アイドルを刺してしまうファン、ラインいじめ、ヴァーチャルゲームのような戦争、サバイバルゲーム

現実と虚構の垣根が溶けていく…