自分の意志

「まず自分がどうなりたいか、どうしたいか、まずは自分自身が大事なのに、そこの気持ちがぬけてしまった」

 
僕の友達がそう呟いた。
 
生物は根本的には利己的。
まず自分自身が生きたいと願うのが基本だと思う。
そして、その遺伝子を残そうとする。
 
生物の中で人間は集団の中に生きる社会的動物。
チンパンジーボノボ、人間に近い類人猿、また、今も生きている狩猟採集民族は20~30人ぐらいの仲間の中で生きているということを考えると、人間もまた太古の昔はそれぐらいのパーティで暮らしていたのだろう。
 
ヒトは一人では弱すぎて生きられない。だから、他人との協力が必要になり、『集団に役に立つ存在たるべき一人』である必要があった。
そして、何かの役に立っているという実感が、今に至る、自己肯定感を産んでいったのだろう。
 
利他的に生きることは素晴らしいことであり、人間はそれが出来たからここまでの発展を産んだ。
しかし、あまりに利他的、他人との協力を求められ、自分の気持ちを抑えこんでしまう人もいるのではないか。
 
まずは自分の意志があり、それに伴い行動する。
そして、他の誰かもその人の意志があり、それに伴い行動する。
その行動の衝突の先に共感もあり、違和感も生まれる。
異なったものに対して、対立が生まれる。
そこから争いになるのか、譲歩しての協力になるのか。
 
本当に分かりあえて協力が生まれれば、素晴らしいことかと思う。
しかし、初めから口論をさけて自己主張をしないのであれば、なにかモヤモヤしたものが心に残る。
 
日本人は特に、自分のエゴをだす、自己主張をする人が少ないのではないか。
主語を省いての文脈が多いことからも、そう推測する。
島国で、同じ種族、同じ言語を使う人が多く、より協調性、自己犠牲的なものを求められたのではないか。
言わなくても分かっているよね、のような。
 
僕は25歳の時にインドに一人旅をしたときに、初めて自己主張の重要性を知った。
自分が何をしたいのかを強く主張しなくては、相手のエゴに呑み込まれてしまうのだ。彼らの生きたい!というエネルギーに。
散々に騙されたが、優しさにもふれた。
自分のむき出しの部分。感情をストレートに伝えることを知った。
そう、まず自分、そのあとに他人なのだ。
 
仏教でも、まずは自分、次に親しい人、次に生きとし生きるものを大事にと言っている。
まず、自分自身を大事にすること。
自分を大事にする為には、他の誰かの協力が必要だと。