漁港の肉子ちゃん 西加奈子著

ああ、何といえばいいだろう。とにかく、僕はこの作家、西さんが好きだ。

たぶん、ずっと一緒にいていたいぐらい好き。

何か理屈で説明できないぐらい好きな作家だ。

あえて、突き放した目で見てみれば、別に文章が特別うまいわけでもなく、美しい文体というわけでもなく、斬新なテーマでもなく、深く人間をえぐる様なものでもない。

キャラクターはどこか漫画チックでリアリティに欠けているともいえる。

でも、何だろうか。全編を流れるこのやさしさは。

もの凄く、字を書いていることを楽しんでいる気がするし、出て来るキャラクター達を愛している気がする。毒を吐きながらも、優しい西さんワールドにみんなが包まれている気がする。

『全肯定』西さんを思うときこの言葉が浮かぶ。西さんは全肯定なのだ。善も悪も、失敗も成功も、毒も薬も、残酷なまでの人間の強欲も、目を背けたくなるような人のいやらしさも、全て肯定する。「いいんだよ」と言ってくれる。バカボン的なのだろうか。

肉子ちゃんはこの西さんのコア部分、『全肯定』を体現したようなキャラクターだ。

太っていて、アホで、なんでも信じ、騙されたりしても、すぐ忘れてしまう。まあ、神様みたいな人だ。一方娘のキクリンは繊細で優しく、人と争うのが嫌い。人の感情をすぐ察知してしまうので、悩みが多く気にしい。凄く作家的というか、内向的な人間だ。

西さんの作品はこの、アホVS賢いのキャラクター対立が多い。僕が思うに現代人はみんな多かれ少なかれ、キクリン的なのではないかと思う。どんなに強そうに見える人でも、繊細な部分があるし、一人で生きれるような人はいない。みんな、小賢く、小狡い。多分、西さんもそうだろう。肉子ちゃんは『神』なので、こんな人はいないのだ。ただ、この要素も持っているのが人間なんだと思う。西さんはそこを言いたいんだと思う。アホで人を簡単に信じてしまう。子供のような心。

肉子ちゃんに唯一近い人は、たこ八郎さんかもしれない。たこさんはお酒ばっかり飲んでいて、お金はすぐに使ってしまうし、人にあげてしまうし、すぐ忘れてしまうらしい。だけど、周りのみんなから愛されていたそうだ。お酒を飲んで海で泳いで、おぼれ死んでしまったけど…

西さんはたこさんのような人ではないと思う。小賢い人間の一人なのだろう。でも、西さんは肉子ちゃんやたこさんのような人をもの凄く愛しているのだ。赤塚不二夫がたこさんを愛したように。

その全肯定したいという部分、そこを常に大事にしているひとなのだと思う。