以前からマルクスの著作は挑戦しようしようと思っていた。『資本論』を数回チャレンジも、言っていることの難解さと長さに挫折すること数回。
『ナニワ金融道』の作者であり、マルクス信望者の青木雄二先生の著作から察するに、労働者は資本家に搾取されている、だから戦わなくてはいけない、そして新しい共同体を作ろうということを言った人かな、ぐらいの認識は持っていた。
学生運動に明け暮れたおじから、最近、勧められたのが『共産党宣言』。本屋でさがしたら、以外にも薄くてこれなら読めそうかなと、早速読んでみた。
『資本論』程でないが、言葉はやっぱり難解。読みづらい。~的なという言葉をよく使うのだが、これは訳者のくせなのか、マルクスのくせなのか。~的というのは僕もよく使ってしまうけど、何か少し煙にまくような印象を受けてしまう。
でも面白いな、と思うのが論理的な記述をしていたのに、急にメタファーを使って詩人になってしまうところだ。これがマルクスに心酔する人の大きな要素な気がする。
以下、印象に残った言葉。
「共産主義者は、その理論を、私有財産の廃止という一つの言葉に要約することが出来る」
共産主義はブルジュア的所有は廃棄しないといけないらしい。ブルジュア的所有というのがよく分からないが、私腹を肥やすなよ、ってことなのだろうか。みんなで稼いだのだから、一人占めするなよ、と。
「われわれのあくまで廃止しようと欲するものは、ただ、労働者は資本を増殖するためにのみ生活し、そして支配階級の利益が必要としなければ生活することができないという、そんなみじめな取得の性格である。」
この言葉は共感できる。働かせていただいてます、という奴隷根性をやめようぜ、って感じがして良いなあと思う。
「私有財産の廃止とともに、すべての活動がやみ、一般的怠惰がはびこるであろう、という異論がある。」
マルクスはこの異論の反論として、ブルジュアは怠けて稼いでいるんだから、ふざけたこと言ってんじゃねえよ、と言い返している。
ごもっともだと思うが、僕は共産主義の失敗はここに尽きる気がする。人間はやっても、やらなくても同じなら、やらないほうに向く、元来、怠け者なのだ。中国も鄧小平が、自由競争を認めてから経済が伸びていった。
「労働者革命の第一歩は、プロレタリア階級を支配階級にまで高めること、民主主義を闘いとることである」
マルクスの時代はまだまだ、封建社会の色合いが強く、支配する側とされる側の構図が今よりクッキリとあったのだろう。民主主義すらないのだ。だから、ブルジュア、資本家との闘争に勝って、民主主義を勝ちとり、そのまま労働者が支配する世界を作ろうという凄い理想に燃えていたのだろう。しかし、現在の中国を見ても、キューバを見ても民主主義ではない気がする。
1土地所有を収奪し、地代を国家支出に振り向ける。
2強度の累進税。
3相続権の廃止。
4すべての亡命者および反逆者の財産の没収
5国家資本および排他的独占をもつ国立銀行によって、信用を国家の手に集中する。
6すべての運輸機関を国家の手に集中する。
7国有工場、生産用具の増加、共同計画による土地の耕地化と改良。
8すべての人々に対する平等な労働強制、産業軍の編成、特に農業のために。
9農業と工業の経営を結合し、都市と農村との対立を次第に除くことを目ざす。
10すべての児童の公共的無償教育。今日の形態における児童の工場労働の撤廃。教育と物質的生産との結合
こうしてみるとマルクスのいう共産主義国家は大きな政府で、国がほぼ全てを管理する社会だ。中国もロシアも国家が強いな、とは思う。相続権の廃止や、教育の無償化は素晴らしい。しかし、見てて自由度がなくて堅苦しく、怖いなという印象は受ける。独裁者が生まれやすく、国家主義的になってしまうのではないかと思う。言いたいことも言えなくなりそう。
10番を見てもマルクスは正義感が強く、貧富の差がおかしいだろ、と熱い思いが伝わる。僕も極端な格差というのはないほうが良いと思う。餓死する人がいる一方で、使いきれないほどの部屋を持つ家に住む人もいる。マルクスは大きい強力な国家を作り、富を公平に分配したかったのだろう。至極まっとうな考えだ。が、やっぱり人間は競争したい生き物なんだと思う。そして、勝った、負けたやりたい。それが様々な商品や、サービスの向上を産む。人間は元来ナマケモノなんだ、という僕の考えは変わらない。
それでは新自由主義が良いかと言うと、そうでもない。確かに市場は伸び、経済は発展すると思うが、大きな格差は生まれやすくなると思う。金儲けも才能なのだ。スポーツ、音楽、と同じ。やっぱり天才ってのはいる。天才をちゃんとリスペクトして頑張ってもらって、もちろん天才は多くもらっていいのだが、使いきれない程はいいでしょ、そこまで強欲にならなくても、みんなで分けましょうよ、と思う。
勝者もリスペクトはされたいだろうが、負けた人間を足蹴にするほど、ひどい気持ちは持っていないと思う。そこまで人間はひどくない。資本主義、共産主義、その間を取れれば良い社会が生まれるのではないだろうか。
今日の日本でもブラック企業や、過重労働による自殺など、労働問題は残っている。日本人は特に働くことを美徳とする人が多すぎる気がする。そしてその働くというのは分かりやすい生産性、結果を求めてくる。アリも偉いけど、キリギリスだって音楽で楽しませているのに。
経営者にも強欲な人間がいるのは確かだ。そういう人間達に対してはマルクスという劇薬は大いに武器になる気がする。労働者の団結は難しいが、ブラック企業で長時間働かされる人が「これって資本家に搾取されてるんじゃない?」と思うだけで、大きな違いを産む気がする。そこから、働くのバカバカしい、という良い意味で逃げの手をうてれば、うつ病になって死ぬ、という最悪の事態は避けられる。マルクスの価値観を僕ら凡人が学ぶのは決して無駄ではない。暴力革命でなくても、組合、市民運動、選挙と戦う方法はある。