慰安婦と戦場の性 秦郁彦著

戦争は悲劇。それ以上でも、以下でもない。
これがこの本を読んでの感想だ。


著者の秦さんは慰安婦問題を歴史という縦軸、世界という横軸を使い、数字やデータで検証している。慰安婦問題は、個にスポットを当てると感情論に流されやすい。
この本を読んで、慰安婦問題は、改めて政治と市民運動フェミニズム、国連、マスコミ、名誉欲、人間の業が渦巻く、複雑な問題なのだというとを再認識した。

この問題は時空と海を越えていく。

戦場と性の問題というのは、本音と建前が存在する。

やはり、性の問題というのは平時でさえ、大っぴらにはさらけ出せない。

しかし、人類がここまで増えたのはセックスがあったから。

そして、死により近い前線の兵士が、遺伝子を残そうとするのは生物として自然なことの気がする。古来、世界中で戦争とセックスが深い関係なのは様々な本を読めば分かる。

朝鮮、内地においては軍による直接的な強制を示す文献は残っていないという見識は、吉見さんと同じ。中国、東南アジアにおいては吉見さんはあったとするが、秦さんは、一部の部隊の暴走と、個々でのレイプ事件で、それは東京裁判等で裁かれているとしている。よって日本軍そのものの強制はなかった。

また、慰安婦の生活自体の見識も吉見さんとは異なり、かなりの収入を得ていたと考えている。ただ、軍票(軍が発行する手形)で支払われていた為、敗戦と同時に紙くず同然となってしまった。秦さんの見方は慰安婦というのは、日本にいた公娼が軍隊に付随していったものという考え方のようだ。勿論そこには日本人の他に朝鮮、台湾、中国、東南アジアの人々、新しい公娼がいた、と考えている。

基本的には業者の甘言や詐欺に騙されたり、親による人身売買で慰安所に送られたと考証している。

具体的なデーターや、膨大な文献と慰安婦や官憲の証言を元にしているので、説得力がかなりある。

当時、軍主導で慰安所を作っていたのは、日本とドイツ。イギリス、アメリカは持っていなかったが、戦場で自然に作られる現地の売春宿については、性病に懸念を示しながらも黙認していたようだ。ロシアは売春じたいを禁じていた。しかし、戦場でのレイプは他国よりも相当多かったという。むしろレイプを軍自体が復讐として奨励していた。

ロシアの例を見ると、慰安所というのは、レイプを防ぐという一定の効果はあったのではないかと思う。ロシアよりは大分ましなのかな、とも思う。

いずれにしても戦場と性の問題は切り離せない。戦争というのは極限の状況なのだ。

そして性というのも生命を産む極限のもの。

貧しい家庭に生まれ、暴力にさらされながらも逞しく生きた女性たちがいた。

彼女たちを憐れむのか、賞賛するのか、制度に対し怒りを覚えるのか、僕はまだ、決めかねている。

しかし、その過酷とも言える状況で、彼女たちは生きようとした。彼らは死んでいった。

そこにつかの間の安らぎを覚えた兵士もいただろう。小さな恋もあったに違いない。

少しでも、彼や彼女たちに幸せな瞬間があったと信じたい。慰安所の設置は決していいことだとは思わない。

自らの意志でそこにいたというより、貧し人たちが犠牲になるから。前線に出る兵士だって、貧しい人たちだろう。

戦争という大きなうねりが、皆を不幸の渦に巻き込んでいく。

やはり戦争はいけない。そして、今やっと女性たちも声をあげられるようになった。戦争はやはり喜劇ではない。悲劇だ。