現代において戦争の意義、大義などない。
軍人を賛美する文化があるが昔と今では戦争に対する意味合いが違う。
狩猟採集時代から考えれば、部族間の争いというのは、結局は食料や土地、縄張りに対する争いだったといえるだろう。
農業をする頃になってからも、結局は土地、食料に対する争いであったろうし、クニの争いというのも、食料や物資、既得権益をめぐる争いなのだ。それは中世、近現代までと理由は変わらない。石油やら重油、今はデータや情報を巡る争いと言っていい。アメリカ、中国がお互いにIT企業を盾に争うさまはそういうことだろう。宗教を巡る争いも結局は、既得権益、貧富の差からくる。
そう戦争、争いは結局何か、既得権益の争いなのだ。その昔、食料が貴重だった時代、衣食住に窮していた人々が多かった時代なら、その争いの理由もわかる。
食料を巡る戦いにおいて命を掛けざるを得なかったのは仕方ないだろう。
だが現代はどうだろう。先進国においては食料に困っている、国はあまりないだろう。
発展途上国も近年の世界的経済成長をみれば、貧困は確実に減っていると言える。
そんな人間みなが豊かになってきた時代に、集団で殺し合いをするほどの争いというのは、完全にリーダーのエゴと恐れからでしかなく、彼らの行動は完全に間違っているといえる。現代のリーダーというのは極限まで戦争を回避するべきなのだ。食べるのに困っているわけでもないのに、すべてを破壊する兵器を使用するのはエゴ以外なにものでもない。
クニという概念はもう時代錯誤なのだろう。これだけ情報、モノ、人が流動化している世界ではクニという概念は必要なく、世界は同じ通貨を使い、税金は世界で徴収したほうがいい。世界を取り仕切るリーダー、今だと巨大企業のCEOだろうか、彼らが世界基軸をつくり、法律を、税の収支を考え、細分化させていくほうが現代の利にかなっているのではないだろうか。