オセロー 小田島雄志訳

べニス公国の将軍が自分を憎んでいる家来の策略にはまって、妻の不貞を疑ってしまい、破綻していくおはなし。

あまりに有名な作品なので感想を書くのも憚れるが、印象に残ったセリフと共にこの作品の凄さを紹介したいと思う。

最も注目する人物はオセローを陥れていく家来のイアーゴーだ。彼のオセローへの憎しみから来る策略によって、ストーリーは進んでいく。彼自身が脚本家なのだ。その策謀はまさに悪魔のように細心で、天使のように大胆。

『つまりやつの家来のようで、実は俺自身の家来なのさ』イアーゴー

イアーゴーという人物の意志の強さ、この策謀を完遂させるという、強い意気込みを感じさせる。使いたくなるような、かっこいいセリフだ。

『盗まれてほほえむは盗人より盗むものなり、無益な悲しみに身をまかすはみずからを盗むものなり』公爵

このセリフはオセローに大事な一人娘デズデモーナをとられ、落ち込んでいる議員のブラバンショーを慰めようと、公爵が言ったセリフ。

実際にはブラバンショーに

『しょせんことばはことば、傷ついた心が耳からのことばで癒されたためしはないのです』ブラバンショー

などと返されてしまうのだが、公爵の深い知性を感じさせる名言だと思う。

 

『時という子宮はさまざまな出来事をはらんでいる、やがてそれが生まれ落ちる』
『この化け物じみた災厄を産み落とすには地獄と闇夜が産婆役だ』
『悪事は実現されるまでその素顔を見せないままなのだ』イアーゴー

イアーゴーがローダリーゴと共に悪事を遂行しようとする不気味さ、何が起こるのか、という期待、不安を募らせるセリフ。ある意味、滅茶苦茶ハードルをあげているともいえる。

『しかし人間は人間です、立派な男でもときにはわれを忘れます』イアーゴー

このセリフは普通なのだが、使うタイミングが絶妙なのだ。キャシオーを陥れるために、オセローにキャシオーの失敗を誇張して吹聴するのだが、かばうセリフもいれることで自分の人徳も高め、セリフ全体に真実味を持たせている。こういう人いるよなーと思わせる。さんざんその人の悪口を言っといて、「まあ悪い人じゃないんだけどねー」みたいな

『からだのほうが名誉より痛みには敏感ですからね。名誉なんて人間が勝手に作り出したいかさまものですよ』イアーゴー

自分からキャシオーを追い込みオセローの信頼をなくさせておいて、キャシオーにこのような親身なセリフを吐き、信頼させる。

『ええい、目に見えない酒の神め、まだ、名前がないならきさまを悪魔と呼んでやる!』キャシオー

酒で失敗した時に使ってみたいセリフだ。

『やるもやらぬも女の意のままだろう、いまでは女への情欲がやつの思考力に対して神の働きをしているのだからな』イアーゴー

男には耳の痛いセリフだ。

『ところが名誉となると、盗んだやつにはなんの得にもならないのに、盗まれるほうは大損です』イアーゴー

まさに真実…

『貧しくても心満ち足りたものは富んでいます、十分に。かぎりない富をもつものも、いつ貧しくなるかとつねに恐れをいだけば、冬枯れのように貧しいと言えます』イアーゴー

まさに真実。これを悪役のイアーゴーが言う凄さ、恐ろしさ。

この他にも多数の名セリフ、名言が、これでもかというぐらいにある。こうして書き出して見ると、いかにイアーゴーが核心をついたことをいうかが分かる。それによって騙されてしまった、オセローやキャシオー、デズデモナの気持ちも分かる。イアーゴーは知性とウィットに富んでいて、ユーモアのセンスもある。まさに悪魔、そして、それはシェークスピアそのもの。